感動の作品。よかった。
ただ、多少、ゆがんだ見方をしてるかもしれない
。
妻/娘の結婚で終わるのに多少ひっかかる……
誤読邪推のレベル、言いがかりの類もあるけれど以下。
キャラクターの感情を省いて考えるとき、娘の若い体を 手に入れた妻が夫を捨てて若い男を選ぶ話ともいえる。
夫は、恋に狂った男の見苦しい行動をいくつもする。 愛するがゆえにとしても、女性の側からすれば愛想 つかしてもしかたないような。 執拗に描かれる夫の疑心に満ちた行為を妻はどう思っていたのか…… 特殊な設定を無視すれば、出来た若妻が駄目な老夫にちょっとづつ 愛想尽かしていく過程を描いただけなのかもしれない。
もちろん結婚式上での夫の推測した気持ちも正しいんだろう。
ラストで指輪(絆)を隠し持つのは、妻に愛情はあるだろう。
だけどその愛情は現在の男女/夫婦の愛情ではなく、
思い出に属するものかもしれないし、
肉親(親兄弟)に対する(どうしようもないレベルの)愛情に
かわっていく/いるのかも、という気もする。
結婚式で見詰め合うシーンは「私が彼を殺した」の
神林兄弟を連想してしまえる。
また新しい夫とどちらをより愛するのだろう?
新しい指輪の形は新しい夫とのためのものでもある、とも思える。
もし、夫が多少倫理観を広く持っていれば(イタしちゃえば)、 世間の目はどうであろうと妻を失わなくてすんだかもしれないと思えてしまう (娘の体を汚すことをホントは妻がどう判断してたかイマイチわかんないけれど)。
夫が"出来心"や,せめて“恋狂う”ことがなければ、互いに一生独身も可だったのではと思う。
けれど美人教師を撮影した写真(でのマスかき)はバレてしまった。
裏切り行為、と思わないだろうか?
人生を悔いの無いようにやり直そうする妻、新しい環境に適応し、
はやくから、娘になっていった(なりつつ妻でもありつづけるけるが)。
裏切った男は父親になるより道はなく、なるのに9年かかった。 せっかく妻が隠した秘密を運悪く気づいてしまった男は、残りの人生を苦しむのかもしれない。 愛する女性は生きて近くにいても永遠に彼の腕からすり ぬけてしまったのだから。もう戻らない。 相手を殴れず泣きくづれる男の哀しみは深い。
と、書いてみたはいいがちと強引か(誤読曲解大)。
それと。
ひょっとすると東野圭吾の書くヒロインは、男を置いて進む
女性が多いのでは、と思う。
「卒業」の紗都子、「白夜行」の雪穂、 「私が彼を殺した」の美和子、 「十字屋敷のピエロ」の佳織、など。
「秘密」もそういう作品かな、と思う。
(2000-09-26追記)
K5ml の510(nakanishi氏)の秘密にネタバレの記述で、
タクシーの運転手のいき様
『自分が愛する者にとって幸せな道を選ぶという発想』
これにいたり主人公は最後に拳を下ろす、という話は
すごく分かりやすく納得できる解説で、まさに目から鱗。
で、このテーマ(自分が愛する者にとっての幸せを選択する/しない) を意識していみると、この作品に限らず、東野圭吾の作品では何度も語られる 重要なモノのようですね。
(2001-01-13追記)
映画をみてふと思ったので補足。
己の文章読み返してみると、主人公にとって、
娘(の体)である、ってことの重要度を低くみているなあ
(他人を思いやる気持ちに疎いし、やっぱり人間モドキか>己)。
でも、妻の方は結構踏ん切りがついちゃってる。まあ、
死んだ娘よりも生きてる旦那のほうが大事ってことだろし。
ひょっとしたら妻のほうはストイックにでなく普通に夫婦
したかったのかもしれない。
だとすると夫の幸せのために自分を捨てて娘に成りきり
演じ続けなければいけなかった妻が、
指輪の作り直しを足のつかない知らない店でなく
知り合いの店に頼んだのは、いつか夫にそのことが
ばれる可能性を承知しての、ちょっとしたカケ/
悪意なのかもしれない。
すぐさま結婚式のときにばれてるとは思わないにしても
結婚して数年後くらいにポロ、っとばれるくらいは起こって
もよいと。あるいは、捨てて他の男に嫁ぐとしても
この“秘密”は一人胸の奥にではなく、やはり夫と共有し
続けたかったのかもしれない。